使命感

友人が続々と可愛いベビーたちを出産している。出産後、椅子に腰掛けると尻が猛烈に、「割れるっ!」ってくらい痛いらしい。お母さんはすごい!そして子供を産むポテンシャルを持つ女性はそりゃ強いわと思います。

 

先日、前職のミャンマー人の同期が、予定日よりかなり早く赤ちゃんを出産した。低体重児で、産まれてからもしばらく保育器に入っていた。出産直後に赤ちゃんに持病が見つかり「どうして自分だけが」と辛い時期を過ごしたらしい。現在はすくすく育っていて友達もキラキラしてた!

 

赤ちゃんを抱っこさせてもらったんだけど、黒目がちで白目はもはや澄みすぎて青に近いような瞳に見つめられた時に、ふと「使命」って言葉が浮かんだ。この子も何か伝えに来たんだなーっと直感した。

 

ちょうど私が26歳の時に辛くて苦しい時期に尊敬する方が「みんな何か意味を持って産まれてきたと思うよ」と声をかけたくれたことを思い出した。その方は2児の母なんだけど、命の誕生する場面に立ち会うと何か感じるのかな。

 

今日は私の愛するドラマ「重版出来」の最終回。淋しい…。オダジョーが良かった。

 

今日読み終えた唯川恵の小説「肩ごしの恋人」も良かった。

久しぶりに後半あと数ページってとこになって、登場人物たちとお別れするのが淋しいと感じた。

 

終わりばかり考えていると悲しくなるけど、しっかりそれと共存して、大枠を感じ取りながら毎日を過ごしたいもんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

成長してるのかな?

ここ数日かなりの歯痛のため、寝つきが悪い。。

治療した歯が痛むんだけど、きっと歯の中で虫歯菌がピースをしていることでしょう。薬に頼らず自然治癒派の私でもさすがにバファリン、飲みました。歯医者いかなきゃ。

 

最近自分の成長について思うことがあった!

 

20代後半はとことん自分に付き合うと決めたんだけど、成長してない自分に落ち込むこともあり。成長が何なのかもわからなくなった!

 

でも、よく考えると数年前とは基準が変わっていた。

 

 三歩進んで二歩下がること、順調な人が五歩で進んだ距離を九歩で行くことにも意味がある。

 

数年前は会社での評価を普段の私生活に引きずったり、他人が決めた価値合わせようとしてたけど今はそういうのがなくなり、だいぶ楽になった。フリーダムです。

 

そんな時こそ本当に欲しい情報が入ってきたり、思いがけない出会いがあったりするから不思議だなぁと思う。

 

自分が後退して動けなくなってる時に救ってくれた人やことを大事に、困ってる人に出会ったら少しでも理解してあげられたらいいな。私にとってそれを思えたことが成長だった!

 

 

 

 

 

 

最近の悩み

昭和最後の年に生まれた私は、今年で28歳になる。

世の中の私以上の年齢の女性は皆、この孤独な道を通ってきたのだろうか。

 

30歳を数年後に控え、結婚と出産そして仕事と、なんだか全てから「お前はどうするんだ」と選択を迫られているような気持ちになる。世間からは「もういい大人」と見られ、10代や20代を駆け出したばかりからは「ヤバい」年齢と表される。アラサー女子の存在は煽りの対象、恰好のビジネスの標的にもなる。

 

20代後半で女性は一旦死ぬのではないか。多くの女性が悩み、そんな迷いと決別をし、自分が決めた自分になろうとする。このときに今まで付き合ってきた友人と急に気が合わなくなったり、他人からの心無い一言に必要以上に傷つき苛立ってしまうことは仕方のないこと。みんな自分の選択が正しいと思うのに必死なのだ。

 

私は少し疎遠になっている友達のことを「選択のジャンル」が似ている別の友人に相談した。「去っていく人のスペースに新しく最適な人が来る」なんともあっぱれな回答だった。確かに世の中そうやってバランスが保たれているのかもしれない。しかしネット社会がたまに私の古傷をつつく。そこで私はやっぱり寂しいんだと気づく。その子の穴はその子にしか埋められない。

 

どうすればいいんだろう。そこでつまるところ私も彼女も女性なのだと思うことにした。もちろん私は男性ではないから、彼らの嫉妬心や派閥争い、浪漫諸々を身をもって体験することはできない。しかし女性なら分かる。この年代特有の焦燥感は痛いほど理解ができる。それでいいじゃないか。これから別の時間を過ごすのだから、価値観に違いが生じて当たり前。

 

もし一緒に時間を過ごすことがあれば、何年か前に同じことで泣いたり笑ったりしたことを思い出せばいい。変に自分の経験を誇示するより、ただの阿呆になって「それでいいじゃん」と適当になればいいのだ。そして変わらない根本を、互いに見つけられたらいいなと思う。

 

昔からの友人こそ大事にできる大らかさを持っていたい。

デラックスな涙

マツコが大粒の涙を流した。厳密に言うと女装タレントのマツコ・デラックスが「月曜から夜更かし」という深夜番組内で、突然、涙したのだ。

 
「歳とると涙脆くなるのよ〜。何だか知らないけど、突然泣けてくるの!最近なんて朝ウンコしてるときに泣いちゃったわ!」
 
帰宅後、何気なくつけていたテレビに一瞬で釘付けになった。最近はテレビで彼女を見ない日はない。
 
奇しくも私はマツコと誕生日が一緒だ。親近感という言葉が相応しいかは分からないが、そんな昨夜の彼女の心情をふとした瞬間に考える。思い出したのは岡本太郎の著書の中の坂本九とのやりとりだった。
 
ある番組で2人は同席し、岡本太朗が「君のような人気稼業はつらいだろうな」と声をかけると、坂本九は堰を切ったように泣きだしてしまったそうだ。世間が作る自分への虚像とその重圧に、本来の自分が子供のように悲しんでいるというのだ。マツコ・デラックスの涙もこの心情に近いのではないだろうか。彼らは敏感なのだ。そんな姿も地上波に乗せられてしまう、彼いや彼女の立場はおそらく途方もなく孤独だ。マツコ・デラックスは現在の坂本九と言っても過言ではない。
 
彼女だけではない。私たちにも同じことが言えるのではないか。周りの期待に応えようとするあまり、知らず知らずのうちに本来の自分のから逸脱している瞬間だ。その時間が長ければ長いほど人生は味気なく虚しい。出来ることならなるべく本音で生きていきたいものだが、これから歳を重ねるつれ、そうも出来ない局面に多く出くわすだろう。
 
もし私がマツコ・デラックスのマネージャーであったら、彼女を元気づけるためにどんな言葉をかけるだろう。「そんなに周りの期待に応えなくていいんですよ」「たまにはゆっくり海外旅行でも行ってください」そんなことを酒の肴に考えている私は、途方もなく暇人だ。今日もテレビの中のマツコ・デラックスに夏炉冬扇のエールを送る。
 

チャンスの神様

最近、少しずつ自分のやりたいことが分かってきました。

やりたいことが生き物だったらその尻尾を掴んだ気がするし、チャンスにも恵まれています。だからそれを活かせるようにしていきたいものです。

 

私にはお世話になっている方が居て、仕事を一緒にさせていただく機会があります。

その方は自分の考え=ビジョンを持って仕事をしていてとても勉強になります。

誰でも「こうしたい!」「こうなったらいいなぁ!」と思うことは我慢せずにやって実現に向けて進むべきです。もしまだ無いようならこれからの経験が教えてくれます。絶対に!

 

こんな偉そうに体裁のいいこと言ってるような私だけど、毎日何かしらの心配事はもちろんあって、でもそれも何とかなると思って毎日をやっています。

自分の決意として今日は書く!

 

これからも理解のある人と着実な仕事が出来て、家族・友人・周囲の人が健康でありますように。

 

田倉優子

 

 

ワークショップ

先日知人を経由して知り合った振付家・ワンポーズクリエーターの外山晴菜さんのワークショップに参加してきました。

外山晴菜さん

カゴメの舞台の振付をしていたり、小島よしおにダンスを教えたこともある今忙しい振付家。
ストレッチを中心にダンスや即興劇など無理なく笑いの絶えない3時間!

..あっという間!

これが2000円で受けられるというから良心的です!

俳優さんたちの中で1人素人で参加したけど、みんないい方たちでした!

今イベント・演劇制作の事務所の手伝いをしていて、コンテンポラリーや舞踏や一人芝居、自分が今まで体験してこなったいろんな世界の一端を知ります。
そういった表現を外から見るだけではなく、その中に身を置く、飛び込んでみると、グっと距離が縮められるように思います!
日々鈍く自分の感情を抑えてばかりはよくないですね。

ぜひ自分の身体の風通しをよくしたい方にはオススメです!
新しい発見があるはず!


0から1まで

のっけからあるあるなブログタイトルで始めました!笑

0から1歩が難しい、
1歩から100歩までは意外と簡単にいくのに、とある方が言ってましたが、
元気と気合いでやっていこうと思います!感じたことを雑多に。音楽と旅が多いかもしれないな。

素敵な人たちと繋がれますように
いつもありがとうございます。